未来について

14 のコピー

作品「in me」(母のポートレート、ランドスケープ、枯れた花のポラ転写、の写真で構成)より(グループ展:影像2013@世田谷美術館)

 

4回目の母の命日。

母が脳梗塞で突然車椅子になったときに、自分達の生活が政治の上に

成り立っていることを、恥ずかしながら初めて強く実感しました。

介護保険法が無い時代だったら、どうなっていたんだろう、と思った。

わたしはフリーランスなのでそこそこ時間の融通が利かせられるのと

姉も比較的残業が少ない職場だったので、なんとか家で一緒に生活することができたと思う。

それでも二人とも働いている状態で家でみるのは簡単では無かった。

実際、面談した相談員の人から(いろんな相談員の人と面談する必要があったので正確になんていう名前の立場の人か

忘れてしまいましたが)、「二人ともお若いのに…。施設に入れる、っていう方法もあるんだよ」と

言われたこともありました。

デイサービスを利用していましたが、お迎えが9時(確か)、利用は4時迄と決まっていて

(その後5時まで延長に改正されるという話が出ていたので現在は違うと思う)

遅くとも5時前には帰って来るので、オートロックのマンションだったこともあって

その時間に必ず家族が家に居るということも出来ないので、

鍵の解錠を本人が出来るように練習しなければならなかったのがまず最初のハードルでした。

ご飯もいつでも作れるわけでは無かったので、高齢者向けの宅配弁当を利用しようとしたのですが

これまた体の不自由な本人が受け取ることがハードルが高く、実質途中で断念しました。

わたしが一ヶ月に一度、一週間から10日程度京都に行く、という遠距離介護をしたので

なんとかなった。ただ、わたしも姉も突然慣れない状況になったこと、仕事との両立のストレス

は当然あり、お互い助けられる面と、衝突してしまう面と両方あった。

最近は働き方改革が少しづつでも進んでいるようですが、

介護や育児をしながら働くことが出来ない職場ばかりだと日本は滅亡する、と本当に思う。

ここで話が変わるが、わたしは必要なときは単発で撮影アシスタントさんを

頼んでいる。10〜20歳くらい年下の彼らと接するようになって、

やっぱりジェネレーションギャップと仕事に対する考え方の違いを感じる。

時代は変わったんだ、といくら頭の中でわかっているつもりでも、

結局自分が経験してきたことが自分の考えのベースになるので、

わたしはアシスタント時代は(専属だったので条件一緒じゃないけど)1ヶ月の出勤日数は関係無く固定給だったし、先輩の手伝いをタダ同然で夜中までしたことも何度もあったし、

食費を削ってフィルムを買って作品撮りしてきた、それがあったから今がある、という気持ちがどっかにある。

同じ考えを彼らに求めようとしてしまうことは間違っているのだけど、どうしてもそう思ってしまう。

(今までアシスタント入ってくれたみなさん、全員に該当しませんし、ダメ出しではありません。)

それを求めるのは、自分の思った通りに、悪い条件で働いてくれということになる。

わたしが親の介護を通じて実感した、労働環境の改善をこれから次の世代に向けて

日本全体でやっていかないといけない、と強く思ったことと矛盾してしまう。

その矛盾をどうしていけばいいのか、日々考えているけど答えが出ない。

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