22年経って、卒論とフラワートラベリンバンドの「SATORI」というCDが戻って来た。
なんでかって言うと、卒業式の日に当時の親友に、わたしこれいらんからあげる、って卒論を渡してしまったから。
文学部だったので、卒論は必修で、でもバンド活動が学生生活の中心だった自分には締め切りに間に合わせることしか考えずに書いたような内容で、無事単位は取れて手元に戻ってきたものの、もう要らない、という気持ちしか無かった。
でもそれを友達に渡すとは、当時の自分のアホさが思いやられる。
当時の立命館の心理学は実験心理学だったので、実験の授業は要卒単位で、しかも二週から1カ月に一本くらいの実験を行い、結構緻密なレポートを提出して審査に通らないといけなかった。
学問へのやる気を持っていなかった学生にとっては、苦痛としてしか捉えていなかったが、思い返してみると、認知心理学という面白い内容で、なぜあの恵まれた環境を謳歌しなかったんだろうとつくづく思う。
ただ、ここ数年、自分を見つめ直し、生活を改め、その流れで仕事のことも見直して、必要があって過去の作品を細かく資料にまとめる機会があった。多々の展示を通してやってきたつもりになっていたものの、一つ一つ見直し、文章にしてまとめていく作業を経て、初めて気付いたことがあり、結構びっくりした。人がいかに自分のことを客観的に見るという行為が簡単なことではなく、それは自分らしく生きていくために結構重要なことだ、というのに気付かされた。
その中で、自分の写真には、やっぱり心理学を学んだことの影響も少なからずあるんだな、と思った。当たり前のことなのに、自分では驚きだった。
30代の駆け出しの頃、ブックの持ち込みはかなりやった。自分が予想していた以上に、写真そのものから力量を見つけだそうとする姿勢よりも、具体的な実績で判断したいという姿勢の人が多いと感じた。ただ、その中にも何人かは、写真そのものを見てくれた方々がいて、DUNEの林さんもそのひとりだった。
開口一番に林さんに聞かれたのは、「廣瀬さんは、今迄どんな勉強をしてきましたか?」
いまご本人に直接伝えることはもう出来ないが、その言葉と写真家に対する姿勢へのリスペクト、またその姿勢が若い作家を育てた事実は残り、現在も進行している。
写真は、左からオーストラリアのお土産のハンカチとマグネット、友達からの手紙が書いてあった竹久夢二の絵葉書、CD、大きいのが卒論。
なんで土産かっていうと、親友は今オーストラリアに住んでいる。娘はもうすぐ思春期らしい。
スッゲー今更だけど、ほんとにいい文章ですね。
私も大学時代は勉強してるフリしかしてなかったけど、今になってそれが生きてるなぁー、と思ったり、もっと勉強すべきだった、と後悔したり。大学ってすごいなと思う。
しかし、ヒロセはそんな卒論書いてたんやなあ。
うわっ、初コメントありがとう!
気づくの遅くてごめん…!
のぐに文章をほめてもらってうれしいです。
大学は行ってよかったよな。というか行かせてもらって親に感謝。
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